さよなら縄文人。ワレワレハ令和人だ。

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今から約1万2千年以上前から
約1万年の間続いたと
言われている、縄文時代

縄文時代というと
縄文土器を連想しますが、
土器というモノは、
とても文明的なモノのようです。

食料の保管や調理の際に
使用されていたそうで、
つまり、
縄文時代の生活とは
文明も秩序も備わっていた様です。

文明というと、
発展目覚ましい
明治の文明開化が
真っ先に頭に浮かびますが、
古代の人間たちも
凄かったんですね。

古代より
不便を解消する為、
病を治す為、
より良い(個人的・社会的)世界
とする為に、
文明は発展していった。。。。

ところで、
縄文時代縄文人》という呼び名は
現代人の私達が勝手に名付けているだけで、
当然、縄文時代の人たちに
その認識は無いわけです。。。。

もしも
タイムマシンで縄文時代へ行って
縄文人に「あなた方は縄文人と呼ばれてます」
と言ったら、彼らはどう思うのだろう?

「稲作を始めた弥生人より原始的で
未発展だと思われています」
とでも伝えたら、
不本意極まり無いと言われるだろうか?

そもそも縄文人たちは、
自分たちを古代人と思っていたのだろうか?

縄文時代当時、
それは人類誕生から見たら最先端。
旧石器時代の人みたいに
マンモス狩るなんて事して無いもん。
もっと効率的にソフィストケイトされた
ライフスタイルをしてるもんね」
てな気持ちで毎日を過ごしていたかもしれない。

だいたい縄文土器
あのデザイン!
用途だけの為のモノでは無し!!
それを考えると、
美意識高くオシャレだったのか。

でも、その人々でも
『これから世の中はどんどん発展していく。
 我々は未だ発展の途中だ』と
思っていた人もいたかもしれない。

縄文人はどんな未来を夢見ていたのだろう。

私が子供の頃、勿論
《携帯電話》は無かった。
マンガでは、
腕時計がトランシーバーの用途も成し、
仲間と通信出来るという
未来のお話しなんかは読んだ事があるけど。

だから、
携帯電話が実際に登場した時は
驚いた!

その後もAIの進入など
現在も発展は続く。。。。

『どこまで行くのか?必要なのか?』と、
ちょっと前迄、私は思っていた。

今、私は、
文明の更なる発展が必要だと
理解している。

防災や安全面においてなら尚の事。

『人間の仕事が機械に奪われる』
という危惧は、
『人間は機械を利用する』
という考えに変換して、
人間が幸せに暮らしていける
文明社会を作っていける筈だと思います。
(AIの話は又の機会に……)

私は発売間も無く携帯電話を買った。
それで当時は、
時代の最先端にいる様な気分だったかも知れない。
(スマホに変えるのは遅かった)

その時私は、
解っていない縄文人だった。

あれから25年位経っただろうか……。
ようやく私は未来を夢見る縄文人に追い付けた。

縄文人が今の社会を見たらどう思うだろう。
「便利な世の中になったな」だろうか?
それとも、
「未だ、そんな事をやっているのか!」と
呆れられるのだろうか?

今年、新元号と成って半年の今、
《令和》の時代に生きている我々は
《令和人》という事になるのか。

未来の人々から見る我々は、
どんな《令和人》と映るのか?
それは分からないけれど、
私は、
素晴らしい未来を夢見る令和人だ。


……それでは今日はこのへんで。
またブログでお会いしましょう✨

  夏の真昼

P.S.私はタイムマシンは出来ない派。(このお話も又の機会に……)

本日のBGM:サディスティックミカバンド
      『タイムマシンにお願い』

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夏の真昼 小説
『フーガ遁走曲~白薔薇婦人が愛した庭~』
https://natsunomahiru.hatenablog.com
1980年代のヨコハマを舞台にした物語。
想像を越えた展開と結末。
是非、ご一読ください。